バート・カンパネリス 〜英語が通じずワールドシリーズMVPを放棄した男?〜

インディアンスとの第3戦目です。

試合前のつかの間のひと時。

久々に一番遠い席(一番安い席)からの景色を撮ってみました。

(やはりボールパークは美しい ^^)

昼下がりのオークランドコロシアムです。

夏になると青空がもっときれいな濃いブルーになります。

この日はリトルリーグデーでベイエリアの少年野球チームが招待されてとても賑やかな中で試合が行われました。

A'sは2連敗中でしたが今日は投手陣が踏ん張り打線も細かく点を重ね快勝。

5−1で勝ち連敗を止めました。

さてこの週末は1972年からワールドチャンピオン3連覇の40周年記念のイベントが行われたことをこのブログでも紹介しました。

そしてちょっと興味深い話を聞いたので簡単ですが書いてみます。

それは1973年のワールドシリーズの話です。

これはサイン仲間のデーブから聞きました。

このシリーズでA'sのバート・カンパネリスというキューバ出身の選手が活躍しました。

カンパネリスはオールスターに6度選ばれておりA'sのフランチャイズレコードもいくつか打ち立てた足の速い選手でした。

また多才で器用だったのか1965年には全てのポジションでプレーした記録を持っています。

1973年のA'sが2連覇を達成した時ワールドシリーズMVPはカンパネリスが相応しいはずだった。

ところがMVPはその時のスター選手であったレジー・ジャクソンが受賞しました。

それはなぜか?

デーブが言うには

「カンパネリスがレジーにMVPを譲ったんだ。実はカンパネリは英語がしゃべれなかったんだ」

キューバ人のカンパネリはスペイン語しか話せなかったというのです。

正直この話を聞いたときショックでした。

(英語が話せないからワールドシリーズのMVPを他人に譲るなんて…)

受賞時のスピーチが出来ないからです。

当時通訳なんていなかった時代でした。

もし2009年のヤンキース松井秀喜選手に通訳がいなかったらMVPのインタビューやスピーチはどうなっていたのでしょうか?

MVPをジーターやA・ロッドに譲ったのでしょうか?

以前現マイアミ・マーリンズの監督のオジー・ギーエンがこんなことを言ってました。

「日本人にはなぜ通訳が付くんだ?南米の選手の待遇を見れば明らかな差別(楽な環境に居すぎ?甘えすぎ?とかそんな言葉だったような…)ではないか」

言葉は違うかもしれませんがニュアンス的にはこんな感じだったと思います。

いくら日本でプロとしての経験があってもメジャーでは単なる一選手だから南米の若者達と一緒に扱うべきだと言ってた気がします。

もちろん日本人プレーヤーでも通訳無しで契約している選手はいます。

しかしオジーの意見は賛否両論があるからいいとしてカンパネリの時代には確かに通訳など存在しておらず随分苦労したことは間違いなかったと思います。

しかし英語が話せないだけでワールドシリーズMVPを放棄したのが本当だとしたら同じく英語が母国語でない私としてはやりきれない。

この話もどこまで本当か、単なるデーブの思い入れなのかはわかりません。

ただ当時の風潮としてワールドシリーズのMVPはビッグネームが相応しいという背景も実はあったようです。

以前デーブがカンパネリと話す機会があった時にあの時のMVPはあんたが取るべきだったと話したら笑っていたそうです。

今では英語を話せるようですがそのことをカンパネリはどう思っていたのでしょうか?

今年A'sにはセスペデスという若きキューバの主砲が加わりました。

カンパネリの同郷である彼も英語は苦手なようです。

A'sにいてはワールドシリーズMVPのスピーチなんてのは夢のまた夢でしょうがもしその時が来たらめちゃくちゃな英語でもスピーチを試みるのでしょうか?

私も英語が苦手なので偉そうなことは言えませんがもし日本人プレーヤーがそういう機会を得たなら堂々と挑戦してもらいたいです。

意地悪なマスコミやファンに叩かれるでしょうが勝ち取った栄光は誇れるものですから…