兄弟プレーヤー 〜22年目のサイン〜

「Celebration of 40th Anniversary of 1972 World series Title」

の2日目です。

今日は当時のワールドシリーズで活躍したロリー・フィンガーズのバブルヘッドが先着1万人に配られる日でした。

いつもならどんなギブウェイ(集客プロモーションとしてその日だけに限定人数に配られる景品)でもオークランドなら開門1時間前に並べばもらえます。

しかし今回はワールドシリーズ3連覇の最初の年でそれなりに盛大にやるような雰囲気でしたし実際ラジオでもこの週末はビッグイベントになるだろうと宣伝していたので1時間前ではすでに長蛇の列でもらえない可能性がありました。

(しかも今まではバブルヘッドは1万5000人に配布じゃなかったっけ??
だとしたら今回5千人も少ねえじゃん −−;)

低予算のチーム運営はこういったところにもしわ寄せがきているのだろうか?

ということで開門16時に対し1時間半前の14時半、さらにその倍の時間をみて13時には球場に着くようにしようと計画を立てました。

ところが行動が遅れて下宿先を13時過ぎに出ます。

下宿先から球場まではBARTという電車を使えば時刻表どうりに行けば大体40分ぐらいで着きます。

車でも40分ぐらいかかりますが電車でいう待ち時間がないだけ車の方が早く着けます。

私は普段最寄の駅まで車で行きそこからはBARTで行くようにしてます。

そのほうがガソリン代はかからない,事故に遭う危険性も少ない、ビールも球場で飲めますしナイター前のハイウェイは混みますから電車で行くのが好きです。

しかし30分遅れたことで悩みまして結局車で球場に向かうことに決めました。

これがこの後起きる出来事に大きな影響があるとは知りませんでした。

さてちょっと話題がずれますがみなさん兄弟でプレーしている(た)メジャーリーガーはどれだけ知ってますでしょうか?

例えばリプケン兄弟、ブーン兄弟、ジアンビー兄弟、カンセコ兄弟、ラモン・ペドロのマルチネス兄弟,ウィークス兄弟…いろいろ出てくると思います。

しかし私の中で印象に残っているのは…

アロマー兄弟。

なぜ印象に残っているのか…

私が始めてメジャーリーグに興味を持ち始めたのは1988年ごろ。

で初めてナマで観戦したのが1990年の日米野球メジャーリーグ選抜が来日した時でした。

マリンスタジアムで観戦したのですがその時に購入したプログラムを今でも大切に持っています。

そしてアメリカにいる今その当時来日していた選手が監督やコーチとしてオークランドを訪れる時にそのプログラムを見せてサインを頂いているのです。

さすがに全てのメンバーにもらえるとは思っていませんが今までに4人いただけました。

ドン・ベイラー、マイク・ソーシア、ショーン・ダンストン、オジー・ギーエン

そして今回オークランドにきているインディアンスのコーチにサンディー・アロマーという方がいるのですが彼も1990年の日米メンバーにいましてそのときは弟のロベルトと一緒にプレーしました。

ちなみに兄のサンディーもいい選手でしたが弟のロベルトはもっといい選手でしてこないだメジャーの殿堂入りを果たしました(素行はあまりよくありませんでしたが成績はすばらしかったので ^^;)

私は今回お兄さんのサンディー・アロマーのサインがほしいと思っていました。

初日は貰えず2日目の今日。

バブルヘッドを確実に手に入れ入場したらすぐにダグアウト近くまで行こうと思ってました。

さて話を元に戻して30分遅れた後の結論は車で行くことに決めました。

やはりガソリン代をケチってBARTで行った結果遅れてバブルヘッドがもらえなかったというのでは悔やみきれません。

車で到着しいつもの外野席入り口へ向かうとぼちぼち人が並び始めているもののまだまだでした。

(かあ〜こんだけかい?まあ開門まで待つしかねえか… −−;)

私は日陰にいながら仲間としゃべってました。

すると10分ぐらい経ったころでしょうか。

一組の白人親子と黒人の紳士がこちらに向かって歩いてきます。

白人の親子はどうやらピッチングコーチのようです。

一方黒人の方は…誰もわかりません。

しかし我々の目の前を通り過ぎようとした時でした。

仲間が動き出し私も悟ります。

(あれ??ひょっとしてサンディー・アロマじゃねえか??)

私は皆がサインを貰い始めている間にプログラムを取り出しました。

そして仲間に確認を取るとアロマーだという。

(く〜こんなところでご対面か!)

サンディーは早足で歩きながら我々の前を通り過ぎようとしていたのでサインはある程度したらしてくれないかも。

しかし私としてはまたとないチャンスです。

そしてプログラムを広げてサンディーにお願いすると立ち止まってサインをしてくれました。

「私は日本から来てこれは22年前あなたが日本でプレーした時のプログラムです!」

と言うと

「へえ…」

と言った感じで…まあもう少し驚けよと思ったのですが綺麗にサインをしてくれました。

しかしまさかこのタイミングでもらえるとは思わなかったのでびっくりしました。

22年前私が高校球児だった時、そして書道の授業をサボって見に行った試合で手に入れたプログラム。

あれから22年。

まさかこのような形でサインを貰っているなんて想像にもしてませんでした。

もしこの時BARTで来ていたなら数分の差で間に合わず逃していたかもしれません。

いつもは倹約だ節約だとけち臭いことを言いながらやってる私ですが今日の選択は正解でした。

やはり球場には早く来た方が得なのかもしれませんね(^^)